コトノハ教室では、発音の練習や語彙を増やすといった、いわゆる「言語」そのものの教材にとどまらず、SST(ソーシャルスキルトレーニング:社会生活技能訓練)やCBT(認知行動療法)の要素を色濃く反映させた多様な教材を作成し、提供しています。
この活動を知った教育関係者や保護者の方から、時折このようなご質問をいただきます。
「言語聴覚士(ST)は『言葉』や『発音』の専門家ですよね? なぜ、心理士や学校の先生が担うような『心』や『社会性』の教材まで作るのですか?」
この疑問は、ごく自然で的を射たものです。
一般的に「言語聴覚士」と聞くと、病院で失語症のリハビリをしたり、構音障害(発音の不明瞭さ)を改善したりする仕事、というイメージが強いかもしれません。
しかし、コトノハ教室のSTの視点から見ると、「言葉(言語)」と「社会性(SST)」、そして「心・思考(CBT)」は、決して切り離すことのできない、三位一体の密接な関係にあると考えます。
言葉の表層だけを独立して訓練しても、それが実際の生活の中で「生きる力」として機能しなければ、本当の意味での支援にはならないと考えています。
本記事では、なぜ言語聴覚士の私が、言語だけでなくSSTやCBTの教材を作るのか。
その背景の理由と、私が教材作りに込めている想い、そして「言語と認知の専門家だからこそ作れる教材の強み」についてお話したいと思います。
コミュニケーションにおける「言葉」の限界と拡張

「知っている」と「使える」の間にある大きな壁
私たちが日常的に行っている「コミュニケーション」は、実は非常に複雑なプロセスを経て成り立っています。
例えば、目の前にいる子どもが「かして」という言葉(語彙)を新しく覚えたとします。
机上での言葉のテストであれば、これで「100点」かもしれません。
しかし、実際の社会生活において、この「かして」を無条件にいつでも使って良いわけではありません。
■お友達が今まさに楽しく遊んでいる最中ではないか?
■お友達は今、どんな表情をしているか?(機嫌が悪そうではないか?)
■もし「だめ」と断られたら、どう反応すればいいのか?
こうした「状況の判断」や「相手の気持ちの推測」を伴わずに、ただ「かして!」と一方的に言葉をぶつけてしまえば、当然そこには摩擦やトラブルが生じます。
つまり、言葉(語彙や文法)をたくさん知っていることと、それを実際のコミュニケーションの場で適切に使えることは、別のスキルも必要と考えました。
言語学における「語用論(ごようろん)」の視点
言語学の分野には「語用論(プラグマティクス)」という領域があります。
これは、単なる文法や単語の意味ではなく、「言葉が実際の社会的場面でどのように使われるか」を研究する分野です。
「言葉の遅れ」や「コミュニケーションの苦手さ」を抱える子どもたちや大人の方々の多くは、単語や文法(意味論・統語論)の理解だけでなく、この「語用論」の領域で深い悩みとつまずきを感じています。
■冗談や皮肉を文字通りに受け取ってしまい、傷つく
■相手との適切な距離感(物理的・心理的)がつかめず、唐突な質問をしてしまう
■相手の興味に関わらず、自分の話したいことだけを一方的に話し続けてしまう
■文脈から「言外の意味」を推論することが難しく、指示待ちになってしまう
これらはすべて、言葉の「使い方(語用)」の課題です。
そして、この語用論の課題を解決し、実生活に落とし込むための具体的なアプローチが、SST(ソーシャルスキルトレーニング)ではないかと私は考えました。
なぜSTの私が「SST(ソーシャルスキル)」の教材を作るのか?

SSTは、社会の中で人と関わりながら生きていくための技術(スキル)を学ぶ訓練です。
では、心理士や教員ではなく、あえて「言語聴覚士」がSST教材を作るメリットはどこにあるか考えてみました。
暗黙のルールを「明確な言葉」に翻訳するプロフェッショナル
社会には、明文化されていない「暗黙のルール」が無数に存在します。
「空気を読む」「適当に合わせる」「相手の立場に立つ」といった言葉で表現されるものです。
しかし、コミュニケーションに困難を抱える方にとって、この「空気を読む」という抽象的な指示ほど、難解で苦痛なものはないのではないでしょうか。
暗黙のルールの理解に苦しむ人に対しては、モヤモヤとした状況を切り分け、理解するための「具体的な手立て」が必要です。
言語聴覚士は、物事を分析し、言語化する専門家ですが、「空気を読みましょう」とは教えません。
その代わりに、暗黙のルールを、対象者が理解できるレベルの『具体的な言葉』と『視覚情報』に翻訳して教材に落とし込むことが必要と考えます。
「心の理論」と言語発達の深い結びつき
他者の心(考えや感情)は、自分とは違うということを理解する能力を、心理学で「心の理論」と呼びます。
この心の理論が育つためには、「思う」「考える」「知っている」といった、目に見えない心的状態を表す言葉(心的動詞)の獲得が不可欠であるという研究結果があります。
そのため、他者の気持ちを推測するSSTを行うためには、その土台として「気持ちを表す言葉」が育っている必要があるのです。
コトノハ教室のSST教材は、いきなり高度な人間関係のスキルを要求するのではなく、まずは「自分と他者の気持ちを言葉で表現する」という言語の基礎段階からスモールステップから学べるように作っています。
言語聴覚療法における「CBT」の重要性〜吃音(きつおん)の氷山モデル

ここからは、さらに深く「心と思考」の領域に踏み込みます。
私がSSTだけでなく、なぜ「CBT(認知行動療法)」の教材まで作成するのか。
その理由を最も端的に表しているのが、「吃音(きつおん)」に対するアプローチです。
吃音(言葉に詰まる、音を繰り返す、引き伸ばすなどの症状)の支援において、世界的に広く知られている概念に米国の心理学者ジョセフ・シーハンが提唱した「吃音の氷山モデル」があります。
このモデルでは、吃音を海に浮かぶ巨大な氷山に例えます。
海面から上に出ている部分(氷山の一角)は、実際に耳で聞こえ、目で見える「言葉の詰まり」や「体の力み」などの身体的・表面的な症状です。
しかし、海面の下には、目に見える症状の何倍もの巨大な氷の塊が隠れています。
それが、「恐怖」「不安」「恥の意識」「自己否定」「話すことへの回避」といった心理的・感情的な側面ではないでしょうか。
「話すことへの恐怖」を解きほぐすCBTの力
海面上の「いかに滑らかに話すか(流暢性の獲得)」という表面的な発音のコントロールばかりに焦点が当てられがちです。
しかし、表面だけを取り繕おうとすればするほど、海面下の「またどもったらどうしよう」「笑われるに違いない」という予期不安が膨れ上がり、結果的に声帯や筋肉がさらに緊張し、吃音が悪化するという悪循環に陥ってしまいます。
ここで絶大な力を発揮するのが、CBT(認知行動療法)の考え方と考えます。
CBTは、「出来事」そのものではなく、その出来事に対する「認知(捉え方)」に働きかけるアプローチです。
■歪んだ認知
「どもってはいけない。どもったら、相手から変な人だと思われる」
■CBTによる認知の再構成
どもることは自分の話し方の特徴の一つに過ぎません。
大切なのは『滑らかに話すこと』ではなく、『自分の伝えたい内容を最後まで伝えること』です。
私は、CBTの枠組みを用いたワークシートや教材を通して、吃音を持つ子どもや大人が、海面下に隠れた自分の「恐怖」や「不安」を可視化し、客観的に見つめ直すサポートも必要と考えます。
「どもってはいけない」という強迫観念(認知の歪み)を解きほぐし、「どもりながらでも、自分らしくコミュニケーションを楽しんでいい」という自己受容を促すこと。
不安が軽減されることで、結果として身体の過緊張が解け、吃音の症状自体も軽減していくことは珍しくありません。
吃音の支援において、CBTはもはやオプションではなく、中核をなすとても大切なアプローチです。私がCBT教材を作る最大の理由は、この「目に見えないコミュニケーションの恐怖」を取り除くことにあります。
吃音だけではない。多様なコミュニケーション障害とCBT

CBTが有効なのは、吃音だけではありません。
言語聴覚士が関わる様々なコミュニケーションの課題において、心理的なアプローチは不可欠です。
「話すこと」に困難を抱えるとき、そこには必ず深い心理的な葛藤が伴うからです。
場面緘黙(ばめんかんもく)と不安のコントロール
家では普通に話せるのに、学校や特定の社会的な場面になると、強い不安から言葉が出なくなってしまう「場面緘黙」。
発声器官に問題はありませんが、心の中に「話すことへの極度な恐怖」が存在しています。
場面緘黙の支援において、無理に話させようとするのは逆効果です。
ここでもCBTのアプローチ(特に「不安階層表」を用いた段階的な曝露療法など)が用いられます。
言語聴覚士は、子どもが「どの場面なら安心できるか」「誰となら声を出せるか」を細かく分析し、不安のレベルを可視化する教材を作ります。
「絶対に話さなきゃ」という認知を、「まずは頷くだけでOK」「次はカードを指差すだけでOK」と、心理的なハードルを言葉と視覚支援を使ってスモールステップに分解していくこともおこないます。
構音障害(発音の不明瞭さ)がもたらす心理的負担
生まれつき、あるいは発達の過程で「サ行」が言えない、舌足らずな話し方になるなどの「構音障害」を持つケースでも、学童期以降になると心理的なケアが必要になります。
「友達にからかわれた」「何度言っても聞き返される」という失敗体験が積み重なると、「自分は話すのが下手だ」「声を出したくない」という二次的な心理的ダメージ(学習性無力感)に繋がります。
STは、口の体操や発音の練習(機能訓練)を行うと同時に、CBTの要素を取り入れた教材を用いて「自分の話し方の特徴をどう受け入れるか」「聞き返された時にどう対処するか(例:もう一度ゆっくり言う、別の言葉に言い換える)」という、精神的なレジリエンス(回復力)を育む支援も必要と考えます。
成人の失語症・運動性構音障害におけるアイデンティティの喪失
脳卒中などの後遺症で、突然言葉を失う「失語症」や、呂律が回らなくなる「構音障害」を抱えた成人の方々に対するリハビリでも、CBT的な視点は極めて重要です。
昨日まで普通に話せていた言葉が突然奪われる喪失感、そして「こんな話し方では恥ずかしくて外に出られない」という強い自己否定感は、リハビリへの意欲を大きく削ぎます。
言語聴覚士は、失われた言語機能を訓練するだけでなく、当事者が「言葉が不自由になった自分」をどう受容し、新たなコミュニケーションの手段(ジェスチャー、文字盤、タブレット端末など)を肯定的に捉えられるようになるか、その認知の変容をコミュニケーションの側面からサポートします。
「完璧に話せなければならない」という白黒思考(極端な認知の歪み)を和らげ、残された能力を最大限に活かす前向きな思考へと導くということも必要なことではないでしょうか。
思考と感情をつかさどる「内言」〜STがCBT教材を作る最大の理由

このように、多様な領域でCBTが必要とされていますが、それでもなお「それは心理士の仕事ではないか?」という疑問が残るかもしれません。言語聴覚士が自らCBT教材を開発する最大の理由、それは私たちの思考の根幹に「内言(ないげん)」が存在するからです。
心の中の言葉「内言」をコントロールする
人間は、頭の中で物事を考えたり、自分自身の感情を整理したりする際に、声には出さない「頭の中の言葉」を使っています。
これを心理学・言語学の用語で「内言」と呼びます。
私たちがパニックになったり、深く落ち込んだりする時、頭の中ではネガティブな内言が高速で駆け巡っています。
「どうせ自分なんてダメだ」「また怒られるに違いない」「絶対に失敗する」 こうした自動思考は、すべて「言葉」で構成されています。
CBTの基本は、この自分の頭の中に浮かぶ「内言」を客観視し、書き換え、行動を変容させていくプロセスです。
しかし、そもそも言葉の発達に凸凹があったり、言語処理能力に限界があったりする方にとって、自分の内なる複雑な感情や思考を言葉にして外部に取り出す(外言化する)作業は、非常にハードルが高いことが多いです。
そのため、この「内言を外に出す手伝い」の専門家としてCBT教材を作成しようと考えました。対象者の言語理解レベル(語彙力、文法力)にピタリと合わせた言葉選びをし、時にはイラストや図解を用いて、複雑な心理状態を明らかにすることを目標としています。
「感情の粒度(解像度)」を高めるSTのアプローチ
自分の感情をうまくコントロールできない要因の一つに、「感情を表す語彙の不足」があります。
例えば、ネガティブな感情をすべて「ムカつく(怒り)」という一つの言葉でしか表現できない子どもがいたとします。
本当は「思い通りにならなくて『悔しい』」「予定が急に変わって『不安だ』」「友達に仲間外れにされて『悲しい』」のかもしれません。
しかし、語彙がないため、すべてが「怒り」として表出され、暴れたり大声を出したりする行動に繋がってしまいます。
これを心理学では「感情の粒度が粗い」と表現します。
私は教材や指導を通して、対象者の言語発達レベルに合わせた多様な「感情の言葉(ラベル)」を習得してくれたと考えています。
自分の複雑で得体の知れない気持ちにピッタリ当てはまる「言葉」を見つけた瞬間、人はスッと冷静になれます。
言葉による感情のラベリングこそが、アンガーマネジメントやCBTの最初の一歩であり、最大の武器となるのではないでしょうか。
分断された支援を繋ぐ〜「認知・言語・社会性」の統合

子どもの発達、あるいは大人のリカバリーの過程において、人間の機能はピラミッドのような構造になっています。
- 一番下の土台に「認知(見る・聞く・記憶する・注意を向ける)」があります。
- その土台の上に「言語(理解する・表出する・語彙・文法・内言)」が育ちます。
- さらにその上に、他者と関わる「社会性・精神性(対人関係・感情統制・自己受容)」が花開きます。
実際の教育や医療の現場では、「お友達とトラブルが多いからSSTをやろう」「自己肯定感が低いからCBTをやろう」と、ピラミッドの頂点(社会性や心理面)ばかりに独立してアプローチしがちです。
しかし、土台である「言語の処理能力」や「感情を表す語彙」が追いついていなければ、上澄みだけの心理的訓練は決して定着しません。
このピラミッド全体を俯瞰し、シームレス(継ぎ目のない)な支援を提供できたらと私は考えています。
言語聴覚士という、発達の土台である「言語のメカニズム」を骨の髄まで理解している専門家が、一番上の階層であるSSTやCBTの教材まで一貫してデザインすることで、表面的な問題行動や症状の裏にある「本当のつまずき」に根本からアプローチできる方法ではないでしょうか。
言葉を通して、その人らしい社会との架け橋を創る
言葉は、単なる情報伝達の道具ではありません。
言葉は、人と人とを繋ぐ温かい架け橋であると同時に、自分自身の心と向き合い、荒ぶる感情を鎮め、自分自身を守り育てるための強力なツールでもあります。
従来の発音や語彙訓練の枠を飛び出し、SSTやCBTの教材を作り続ける理由。 それは、「正しい言葉や発音を教えること」が私たちの最終ゴールではなく、「言葉というツールを使って、その人がその人らしく、社会の中で笑顔で、豊かに生きていくこと」を真のゴールとしているからです。
どれほど発音が綺麗になっても、どれほど流暢に文章が読めるようになっても、対人関係の恐怖に縛られたり、社会の中で他者と適切な関係を築けず孤独を感じていたりすれば、本人の「生きづらさ」は解消されません。
わたしはこれからも、「言語聴覚士」という確固たる専門性の軸をベースにしながら、心理や社会性、認知の領域まで網羅した、立体的で多角的な教材作りを続ける予定です。
学校の先生方、心理・福祉職の皆様、そして何より、日々悩みながらご自身やお子さんの成長に向き合っている皆様の手元に、「本当に使える、心に届く教材」をお届けすることが私たちの役割かもしれません。
言葉を通して、一人でも多くの方が自分なりのコミュニケーションの形を見つけ、社会と優しく繋がっていけるよう、全力でサポートできたらと考えています。