「佐藤(さとう)さん」と言われたのに「加藤(かとう)さん」や「多田(ただ)さん」に聞こえてしまう。
「7時(しちじ)」と「1時(いちじ)」の区別がつかない。
テレビのニュースで、アナウンサーが「〜しました」と言うたびに「〜しまた」「〜たまた」と聞こえて違和感がある。
もし、このような経験があるなら、それは単なる「聞き逃し」ではなく、耳の中で「音の変換ミス」が起きているサインかもしれません。 実は、人間の耳は老化やダメージによって「さ行」を「た行」に書き換えてしまうという不思議な特性を持っています。
この記事では、なぜ「さ行」が「た行」に聞こえてしまうのかという物理的なメカニズムと、その原因、そして聞こえを改善するための具体的なアプローチについて詳しく解説します。
なぜ「さ行」が「た行」に聞こえるのか?(メカニズム)

この現象を理解するには、「言葉の音(周波数)」と「耳の構造」の関係を知る必要があります。
「さ行」はもっとも高い音
言葉の子音には、それぞれ「高さ(周波数)」があります。
■母音(あいうえお)
低い音(250Hz〜1000Hz付近)。エネルギーが強く、遠くまで届きます。
■た行(T)・か行(K)
中くらいの高さ。
■さ行(S)・は行(H)
非常に高い音(2000Hz〜4000Hz以上)
「さ行(S)」の正体は、歯の間から空気が漏れる「スーッ」という摩擦音です。
この音は、ピアノの鍵盤でいうと一番右端のような、非常に高い周波数帯の音成分でできています。
「た行」との決定的違い
「さ行」と「た行」は、口の中で舌をつける位置(歯茎の裏)はほぼ同じです。
違いは、「空気を流し続ける」か「空気を破裂させる」かだけです。
耳の機能が低下して高い音が聞こえにくくなると、さ行特有の「スーッ」という高周波の摩擦音だけがスポッと抜け落ちます。
その結果「さかな(Sakana)」という音が、脳内で自動的に「たかな(Takana)」に変換されてしまうのです。
これが、「さ行」が「た行」に聞こえるメカニズムです。
なぜ高い音が聞こえなくなる

「高い音が聞こえない」状態を引き起こす主な原因は、内耳(ないじ)にある「有毛細胞(ゆうもうさいぼう)」の損傷です。
① 加齢性難聴(老人性難聴)
最も多い原因です。耳の奥にあるカタツムリのような器官(蝸牛)には、音を感じ取る「有毛細胞」が並んでいます。
■入り口付近の細胞
高い音を担当
■奥の細胞
低い音を担当
年齢とともに、入り口付近の「高い音を担当する細胞」から順番に壊れていきます。
そのため、「会話のボリューム(母音)は聞こえるのに、言葉の中身(子音)が分からない」という現象が起こります。
「音は聞こえるけど、モゴモゴ言っていてハッキリしない」と感じるのはこのためです。
② 騒音性難聴(ヘッドホン・職業病)
若い世代でも増えている原因です。
工事現場や工場などの大きな音、あるいはイヤホンでの大音量は、真っ先に「高い音の細胞(4000Hz付近)」が傷ついてしまいます。
これを「C5 dip(シーファイブ・ディップ)」と呼び、初期段階では日常生活に支障がないものの、「さ行」の聞き間違いだけが頻発することがあります。
③ 聴覚情報処理障害(APD / LiD)
聴力検査では「異常なし」と言われるのに聞き取れないケースです。
耳ではなく、脳の「音を処理する機能」に問題があり、早口の言葉や雑音の中での会話において、SとTのような微細な違いを脳が瞬時に判別できなくなっている状態です。
聞こえを改善するアプローチ

「さ行」が「た行」に聞こえ始めたら、放置してはいけません。
脳への入力が少ない状態が続くと、脳の聞く力そのものが衰えてしまうからです。以下に具体的な対策を紹介します。
耳鼻咽喉科での精密検査
まずは「自分の耳がどの音を落としているか」を知ることが第一歩です。
通常の健康診断の聴力検査(1000Hzと4000Hzの2点のみ)では見逃されることがあります。
耳鼻咽喉科で、より細かい周波数ごとの「オージオグラム(聴力図)」を測ってもらいましょう。
■チェックポイント
2000Hz〜4000Hz以上の数値が下がっていないか確認してください。
ここが下がっていると「さ行」が聞こえにくくなってしまいます。
補聴器の活用(周波数圧縮変換)
「補聴器なんてまだ早い」と思うかもしれませんが、最近のデジタル補聴器には、この「さ行聞き取り問題」に特化した機能が搭載されています。
■周波数圧縮(フリケンシー・コンプレッション)
聞こえなくなってしまった「高い音(さ行)」を、無理やり増幅するのではなく、ご自身の耳がまだ聞こえている「中くらいの高さ」に圧縮して移動させる技術です。
これにより、今まで聞こえなかった「さ行」の音が、少し低い音として聞こえるようになり、と「た行」区別できるようになります。
会話環境とコミュニケーションの工夫
道具を使わずにできる対策もあります。「聞き手」側から「話し手」にお願いすることで、劇的に改善します。
■「ゆっくり」話してもらう(最重要)
大声である必要はありません。「さ行」の摩擦音は一瞬の音です。
早口だとその一瞬が潰れてしまいます。ゆっくり話してもらうだけで、脳が音を判別する時間を確保できます。
■正面から話してもらう(視覚情報の活用)
「さ行」と「た行」は口の形は似ていますが、表情や文脈、そして口元のわずかな動きを見ることで、脳は欠けた音を補完(読唇)できます。
■「さ行」の確認は言い換える
「1時(いちじ)ですね?」と聞き返すのではなく、「昼の1時ですね?」や「13時ですね?」と、間違えやすい言葉を使わずに確認する癖をつけます。
聴覚トレーニング
補聴器をつけた当初は、今まで聞こえていなかった「高い雑音(ビニール袋の音や食器の音)」がうるさく感じ、「さ行」も不自然に聞こえることがあります。 脳に「これが正しい『さ行』の音だよ」と再学習させるトレーニングが必要です。
■ニュース番組を字幕付きで見る。
■字幕(文字)と聞こえてくる音(音声)を脳内で答え合わせする作業を毎日15分程度行う。
話し手ができること(周囲のサポート)

もし、あなたが「聞き手」ではなく、聞き間違いに困っている家族や同僚を持つ「話し手」の立場なら、以下のことを意識してください。
■ やってはいけないこと
大声で怒鳴る(高い音はより響いて耳に痛いだけで、判別はできません)。
「さ!し!す!せ!そ!」と一文字ずつ区切って叫ぶ(不自然な音になり、かえって分かりにくいです)。
■効果的な話し方
・やや低めの声で、ゆっくり話す。
・子音を強調する→「さかな」と言う時、「Sーーーあかな」というイメージで、出だしの息の音を少し長めにするつもりで話すと、相手にはクリアに「さ」として届きます。
まとめ
「さ行」が「た行」に聞こえるのは、決してあなたの理解力が落ちたわけでも、ボケてしまったわけでもありません。
耳の中にある「高音を受け取るアンテナ」が少し摩耗し、音の信号を正しく脳に送れなくなっているだけの物理的な現象です。
「おかしいな」と思ったら、まずは耳鼻科で「高い音が聞こえているか」を確認してみてください。
補聴器や周囲の協力によって、「クリアな言葉の世界」を取り戻すことは十分に可能です。
「聞こえ」を整えることは、会話の楽しさを取り戻し、脳を若々しく保つための最大のアプローチではないでしょうか。